アメリカ合衆国ドル(アメリカがっしゅうこくドル、英語: United States Dollar)は、アメリカ合衆国の公式通貨。アメリカ合衆国ドルは、その信頼性から国際請注意日本當地運費,確認後再進行下標。通貨の基軸通貨として、世界で最も多く利用されている通貨である。通称としてUSドル、米ドル、アメリカ・ドルなどが使われる。
概要
アメリカ合衆国ドルは、その信頼性からしばしばアメリカ合衆国の国外でも使われ、特に輸出入など国際請注意日本當地運費,確認後再進行下標。的な商取引の決済に多く使用されている基軸通貨である。
アメリカ合衆国ドルの記号は、ドル記号 ($) である。通貨コードはISO 4217による通貨コード(3桁英文字コード)はUSD(ISO 3166-1の国コードと通貨名称の組み合わせ)[1]、3桁数字コードは840である[1]。補助通貨は、セント(記号は、¢またはc)で、1ドル = 100セント である。
1792年の貨幣法(Coinage Act of 1792)以来金銀複本位制であったが、1873年(Coinage Act of 1873)には完全に金銀複本位制が破棄され金本位制となり、1900年には法令で金本位制として金1トロイオンス=約20.67ドルが規定された。ただし兌換比率は歴史的に大きく変動している。第二次世界大戦後しばらくは、主要通貨で唯一の金本位制を維持していた通貨であり、各国の通貨は米ドルとの固定レートにより、金1トロイオンス=35ドルとして間接的に金との兌換性を維持していた(ブレトン・ウッズ体制)。1971年のニクソン・ショックまでは金本位制が続けられていた。その当時に形成された米ドルを基軸通貨とする体制は、金本位制停止および変動相場制導入の後も継続されている。現在は、貴金属などとの兌換制度は無く、中央銀行である連邦準備制度が発行を管理する管理通貨制度のもとにある。
呼称
語源
ドル(ダラー)という名前は、ドイツで使われた歴史的通貨のターラー (Thaler) から来ている。ターラーは、16世紀にボヘミアのザンクト・ヨアヒムスタール(現在のチェコ・ヤーヒモフ)という銀の鉱山で鋳造された『ヨアヒムスターラー (Joachimsthaler) 』という銀貨の名前が短縮されて「ターラー」と呼ばれるようになったものである。
この銀貨は大型で品位も良く、フローリン金貨と等価として扱われたので、絶対量の不足していたフローリン金貨に代わって広く流通した。この品質の高さで知られた、銀貨を指すターラーという言葉が『良貨』の含意で一般名詞化し広まり、その後ダラーに訛って、アメリカ合衆国他各地において、良貨の意味を込め自国通貨をDollarと呼ぶようになった。
世界にあるドル
アメリカ以外のいくつかの国や地域で公式の通貨として採用されていることから、通貨単位の呼称としての「ドル」は、カナダドル、新台湾ドル、香港ドル、シンガポールドル、オーストラリア・ドル、ニュージーランド・ドル、RTGSドルなど、いくつかの国家や地域で用いられている呼称であるが、現代の日本では単に「ドル」と言った場合は、通常「アメリカ合衆国ドル」のことを指す。
口語表現
米口語ではドルの代りにバック (buck) が使われることも多い。たとえば、"5 dollars"と言わずに、"5 bucks"と表現される。"buck"とは、かつてネイティブ・アメリカンが白人と取引する際に、貨幣の代わりに鹿の皮 (buck) を使ったことに由来する。
また、裏面が緑色であることからドル紙幣のことをグリーンバックス (greenbacks) というが、このバックスは「裏 (back) 」のことであり、日本語訳では「緑背紙幣」と呼んでいる。2003年から2013年に行われた改刷以降の米ドル紙幣は額面ごとに異なる配色で印刷されているが、かつての緑背紙幣の慣わしから、現在でも時折このように呼ばれる事がある。
他に、口語では"grand"は「1,000ドル」を意味し、たとえば「10,000ドル」を指して"ten grand"と言われる場合がある。
歴史
後にアメリカ合衆国を構成することとなる、北アメリカのイギリス領植民地においては、法定通貨は当然ながらイギリス帝国のスターリング・ポンドを採用していたものの、17世紀以降スペイン・ドルが盛んに流通していた。1783年にアメリカ独立戦争が終わり、アメリカ合衆国が成立すると、13植民地でばらばらだった貨幣を統一する動きが強まった。1787年9月17日に作成されたアメリカ合衆国憲法の第1条第8項には「貨幣を鋳造し、その価値及び外国貨幣の価値を定め、また度量衡の標準を定めること」との記載があり[2]、これが通貨発行の根拠とされた。
これをもとに、アメリカ合衆国財務長官であったアレクサンダー・ハミルトンなどが中央銀行の創設と貨幣の鋳造を訴えた。ただし、特に中央銀行の創設には、州権を重視する南部から反対の声が強くあがった。こうした中、1791年には最初の中央銀行として第一合衆国銀行がフィラデルフィアで創設され、1792年にはアメリカ合衆国造幣局が設立された。新たな通貨の単位はポンドではなく、より植民地内において流通量が多くなじみもあったドルが選ばれた。また、ドルはポンドとは違い10進法で設計され、1ドル=100セントとされた。1794年と1795年にはフローイング・ヘア・ダラーが鋳造された。
こうしてアメリカ合衆国ドルは発足したが、特に中央銀行の創設に関しては反対が強く、創設と失効を繰り返した。1791年に創設された第一合衆国銀行は1811年までの20年の免許制であったが、財務長官アルバート・ギャラティンの強い反対にもかかわらず銀行免許は更新されず、同年に消滅してしまった。
この結果、同時期に勃発した米英戦争における経済負担の増加にアメリカ合衆国連邦政府は耐えることができず、経済混乱が起こったので、ジェームズ・マディソン大統領とアレクサンダー・J・ダラス財務長官によって第二合衆国銀行が1817年に創設された。しかしこれも20年の免許制であり、アンドリュー・ジャクソン大統領が存続に反対したことで、1836年には免許が失効してしまった。この第二合衆国銀行の縮小と消滅は1837年恐慌の一因となった。また、これ以後中央銀行の再建は長く行われず、個々の銀行や鉄道会社が、アメリカ国債や金準備を使って、各種各様のドル紙幣を発行する状態が長く続いた。
ドルは中央銀行なしで70年以上存続したが、このため通貨供給量の調節や偽札に不備が生じ、1907年恐慌を引き起こすこととなった。このため、再度中央銀行の創設が叫ばれるようになり、1913年には連邦準備制度が成立して、合衆国に近代的な中央銀行が成立することとなった。このときドルの発行は、各市中銀行による発券から、連邦準備制度による集中管理によって、各地の連邦準備銀行が発行する現在の形となった。
このときドルは金本位制を取っていたが、1914年に第一次世界大戦が勃発したことにより経済混乱が起き、ドルも金との兌換を一時停止し、管理通貨制度へと移行した。しかし第一次世界大戦の終戦とともに、アメリカには再び金が流入するようになり、1919年には大国中で最も早く金本位制を復活させた。これはアメリカ経済の相対的な安定を示すものであり、豊かな経済力を背景に米ドルは、スターリング・ポンドと並ぶ基軸通貨の地位を徐々に得ていった。
このドルの地位の上昇は、第二次世界大戦によって決定的なものとなった。スターリング・ポンドを握るイギリスが激しい戦いに巻き込まれる一方、アメリカ本土は戦渦に巻き込まれることがなく、相対的な経済力が著しく向上したためである。この情勢を元に、1944年7月にニューハンプシャー州のブレトン・ウッズで連合国通貨金融会議が開かれ、ここで締結されたブレトン・ウッズ協定によって金1オンスを35アメリカ・ドルと定めて、各国がドルに対し固定相場制を取ることとなった。
つまり、金本位制を取るアメリカに各国の通貨がペッグすることで、世界的に間接的な金本位制を取ることとなったわけである。この制度は金・ドル本位制とも呼ばれ、これによってアメリカ合衆国ドルは、名実ともに唯一の基軸通貨となった。このブレトン・ウッズ体制の下で、世界経済は安定を取り戻し、急速な復興を遂げることとなった。
しかし、戦火によって荒廃していたヨーロッパや日本の復興は、アメリカ合衆国の経済的優位を揺るがし、1960年代に入ると、これら各国へのドルの流出による、米ドルの地位低下が深刻なものとなった。こうした情勢を受け、アメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソンは、1971年8月15日にアメリカ合衆国ドルと金との兌換停止を電撃的に発表し、アメリカ合衆国ドルは金本位制を放棄し、管理通貨制度へと移行した。これは第二次ニクソン・ショック、またはドル・ショックと呼ばれ、ブレトン・ウッズ体制は、これにより崩壊した。
これを受けて、新たな国際請注意日本當地運費,確認後再進行下標。通貨体制が模索され、1971年12月18日には、ドルと各国通貨との交換レート改定を柱とするスミソニアン協定が、国際請注意日本當地運費,確認後再進行下標。通貨基金の10か国グループ (G10) の間で結ばれ、固定相場制の維持が図られたが、ドルの価値減少は止まらず、各国は相次いで変動相場制に移行し、1973年にはスミソニアン体制は完全に崩壊した(変動相場制は1976年1月ジャマイカのキングストンで開催されたIMF暫定委員会で承認された)。ただし、こののちもアメリカ・ドルの基軸通貨としての地位は変わらず、世界で最も流通する基軸通貨の地位を保っている。
2023年11月に行われたアルゼンチン大統領選挙(英語版)において、米ドルをアルゼンチンの通貨に制定させることを公約に掲げるハビエル・ミレイ候補が当選したことにより、近い未来に米ドルの法定通貨国に新たにアルゼンチンが加わることが予想されている。