注意事項
- 模型玩具商品無法使用海運運送,空運會產生材積費用,可使用 日本郵局海運直送。貼心提醒:商品外箱三邊總合低於75cm以下,使用空運會較划算。
※日本郵局海運直送抵台時間通常超過三週以上,無法與賣家反應商品疑慮、功能異常...等 - 偵測到故障品(垃圾品)、有照片及說明以外的問題,下標前注意
- 偵測到故障品(垃圾品)、問題商品、可能無法修理字樣,下標前注意
- 賣家不提供退貨賠償等責任
- 需在賣家要求時間完成匯款
- 易碎品限空運,非易碎品可使用海運。
- 商品可能會漏水,請下標前詢問清楚且注意。
- 噴霧罐/ 顏料液體 類型商品國際運送規定為危險物品,無法運送。
- 同捆不可,商品會有獨立的日本運費
此功能 由google翻譯提供參考,樂淘不保證翻譯內容之正確性,詳細問題說明請使用商品問與答
《利根・吹雪・天龍》【天龍付】バンダイ 1/2000 ネイビーコレクション No.11 重巡利根 & 駆逐艦吹雪 及び ダメヤ 1/2000 天龍型軽巡
| 商品説明 |
■ バンダイ 1/2000 ネイビーコレクション No.11 重巡洋艦利根 & 駆逐艦吹雪 及び ダメヤ 艦船モデルシリーズ 1/2000 天龍型軽巡洋艦について
・バンダイ 1/2000ネイビーコレクションシリーズは以下のバンダイ模型情報によると、1980年頃製品化されていたと思われます。
・模型情報vol.17(1980年12月/1981年1月合併号)で外国艦発売の情報を発信。
・模型情報vol.20(1981年4月号)の新製品情報に戦艦武蔵(ネイビーコレクションシリーズの日本艦艇の最終艦)が掲載。
・模型情報Vol.l.22(1981年6月号)の新製品情報に海外艦(ミズーリ、ニュージャージ、エンタープライズ、エセックス)が掲載。
このため1/2000ネイビーコレクションシリーズNo.11 重巡洋艦利根 & 駆逐艦吹雪は1979年~1980年頃発売されたと思われます。
1/2000という小スケールながら当時の模型としてはディテールの優れた製品でした。
今回出品した箱の中には利根と吹雪が2セット分入っているので1セットはフルハル版、もう1つは洋上版を作るとか、あるいは同型艦を作ったり、1セット分は保管しておくとかいろいろ楽しめると思います。
尚、正式な情報は無いのですが、バンダイのネイビーコレクションの金型はFUMANという中国のメーカーに譲渡されたようで、海外艦のみ再販されていました。その後2013年11月にアオシマからも1/2000 ワールドネイビーシリーズとして再販されてました。これも海外艦のみで発売されたのは戦艦ミズーリ、ニュージャージー、空母レキシントン、エセックス、エンタープライズ、巡洋戦艦フッド、空母イラストリアス、戦艦テルピッツだそうです。(ホビーサーチ調べ)しかしなんでサウスダコタとワシントン、ビスマルク、プリンス・オブ・ウェールズがリリースされなかったんだろう?今もアマゾンを探してみたら多分中国メーカーと思われるところより販売しているようです。(ラインナップも同じ)
日本艦は残念ながら再販されてはいません。
*キットの特徴
・フルハルモデル(艦底部を付けなければ洋上モデル可)
・接着剤は入ってますが多分使用できません。
定価 100 円(税抜:当時)
ネットでは販売されてないようです。
・ダメヤ 1/2000 艦船モデルシリーズ 天龍型軽巡洋艦
ダメヤさんの1/2000 天龍型は3Dプリンタで作成したUVレジンキットです、小さいですが超精密なキットですので、作成時にはパーツを無くさないようご注意ください。
*キットの特徴
・洋上モデル
定価 1,100 円(税込:送料除)
ダメヤさんで入手可能です。
※ 出品理由や趣旨については自己紹介をご参照ください。(必読ではありません)
■ ご注意
・無塗装、未組み立て品です。塗料噴霧罐/ 顏料液體 類型商品國際運送規定為危險物品,無法運送。、制作工具、接着剤等は別途ご用意ください。
・パーツリストが無い為パーツの確認は出来てませんが、パーツを入れてる袋は未開封で穴も開いてませんので、メーカー側でのミスがない限り全て揃ってると思われます。足りない場合はメーカーにお問い合わせください。
・パッケージは経年劣化により日焼けやかなりのスレ等の劣化がありますし、一部折れや汚れ、破損が存在しますのでご了承下さい。
・本出品には上記の可能性もありますので、美品や完品がほしい方は、入札をご遠慮下さい。
※ 当出品物は売る事を前提として保管してた物では無い為、新品同様の状態のものもありますし、日焼けや変色、スレ等全体的に劣化している状態のものもあり、全てが同一のコンディションではありません。このため商品の状態を判断して出品してますが、当方で新品同様と判断しても、見落としや落札者様の判断基準と異なる可能性もありますので、どのような状態であっても基本的に「傷や汚れあり」に設定し、開始価格も低めの設定にしてます。
特に模型については組んで頂くことを前提としてますので、パーツリストのあるものはパーツを確認し、可能な限り本体部分のパーツが揃っているものを出品してます。(欠品している場合は欠品部分の情報と、リカバリ方法のヒントを記載いたします) このためパッケージの状態を特に重視される方は入札をご遠慮ください。
書籍についても、内容では無く書籍の状態の方を重視される方は入札をご遠慮ください。
■ 同時に下記商品を出品しています。
[艦艇]
・ゴム動力で走る軍艦模型
クラウン 1/1000 BATTLE SHIP SERISE 8 ドイツ海軍ビスマルク級戦艦 ティルピッツ
・ダメヤさんの1/2000 天龍型軽巡洋艦付き
バンダイ 1/2000 ネイビーコレクション No.11 重巡利根 & 駆逐艦吹雪 及び ダメヤ 1/2000 天龍型軽巡
[スタートレック]
・スタートレック ピカードに登場する宇宙艦
デアゴ スタートレック オフィシャルスターシップスコレクション U.S.S. ハーラン NC故障品(垃圾品)、問題商品、可能無法修理,請注意C-52277
・映画版スタートレック ジェネレーションズに登場するエクセルシオール級のエンタープライズ。
AMT スタートレック NC故障品(垃圾品)、問題商品、可能無法修理,請注意C-1701B エンタープライズB
[アダムス・ファミリィ]
・アダムス・ファミリ-のお化け屋敷。暗闇で怪しく光ります。
ポーラライツ アダムス・ファミリー ホーンテッド・ハウス The MODEL That GLOWS in the dark
出品一覧(ここをクリック)
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入札等に関して |
このページの記載を熟読ご確認して頂き、十分理解し、了承した方のみご入札願います。
1.支払い等について(2026/3/1:修正)
1) 支払い方法は、かんたん決済のみです。
2) これまで落札された方の9割以上の方が落札した翌日の13:00迄に振り込んで頂いてますので、振込みは基本的に落札後24時間以内にお願い致します。コンビニなどの利用等で振込が落札後24時間を越える場合は、落札後24時間以内にいつ頃の振込になるかご連絡ください。落札後24時間以内に振込も無く連絡も頂けない場合は問合わせさせて頂きます。この問合わせから24時間以内に返答等のアクションがない場合は入札を取消させて頂き、次点の方に落札頂くか、または再出品させて頂きます。
また事情をお伝え頂いた場合でも、入金は落札後5日以内にお願い致します。
3) システム上新規の方の入札は出来ないようになってますが、もし入札が出来てしまい落札頂けた場合は、落札直後1時間以内にお支払い頂くか、または振込の予定をご連絡ください。尚、振込予定の連絡していただいた場合でも振込は落札後48時間以内需在賣家要求時間完成匯款にお願い致します。落札後1時間以内にお支払いもご連絡も頂けない場合は無警告で次点の落札者様((4)と同様の問題がない方)に落札権を譲渡するか再出品とさせて頂きます。(すいません、これまで新規の方の落札の場合100%いたずら入札でしたのでこの対応とさせて頂きます)
4) 落札者様の評価で、他の出品者様より振込の遅延または落札品の受取処理を行わない等、落札後の問題で悪いの評価がついている落札者様及び前回当方の出品で振込遅延または受取処理遅延メッセージを受けた落札者様は、落札した翌日の13:00迄に振込もしくは振込予定のご連絡をお願いします。翌日13:00迄に振込も振込予定連絡もいただけない場合は、当方よりお問い合わせさせていただきます。以上のお問い合わせをさせて頂いても、落札後24時間以内に何らかのアクションがない場合は入札を落札者様都合で取消させて頂き、次点の落札者様(前述と同様の問題がない方)に落札権を譲渡するか再出品とさせて頂きます。(すいません、何度もいたずららしい入札がありましたのでこの対応とさせて頂きます)
2.同梱(おまとめ発送)について
1) 同時期(「■ 同時に下記商品を出品しています。」の項目に記載している出品物)の出品物は同梱可能です。(再出品とは基本的に同梱できません)
3. 発送について
1) 匿名配送及び商品追跡のため、発送はおてがる宅急便(EASY)またはゆうパケットポスト、ゆうパケットプラス、ゆうパケットポストミニを使用します。送料を安く出来ないかとのお問い合わせもありますが、下記の通り定形外の場合匿名配送、商品追跡が出来なくなる為、変更できませんのでご了承下さい。
2) 日本国内のみで海外発送には対応してません。
3) 梱包は雨などの水漏れ商品可能會漏水,請下標前詢問清楚且注意。防止用にビニール袋に包み、梱包箱等に入れます。ただし梱包箱では発送サイズに収まらない、または100サイズを超える大型サイズの場合は、段ボール用紙、またはクラフト紙で梱包して発送します。
4) 落札者様からのご入金確認後、土日祝祭日を除き通常は24時間以内、遅くとも48時間以内需在賣家要求時間完成匯款の発送を心がけてますが、事情により遅れる場合がございます。その場合は落札者様へご連絡いたします。
5) お手軽宅急便(EASY)での発送の場合で着日を指定(発送後標準的な輸送期間を過ぎた日を指定する場合)は振込前にご連絡ください。尚、ゆうパケットプラス、ゆうパケットポスト、ゆうパケットミニの場合は期日指定が出来ません。お手数ですが受取れなかった場合は郵便局のウェブより地元の郵便局に連絡して頂き、郵便局または近くのコンビニでの受取りを指定してください。
6) 定形外郵便発送のご質問が何度がございましたが、匿名配送及び商品追跡のため現状故障品(垃圾品)、問題商品、可能無法修理,請注意定形外郵便を使用する予定はございません。
4.受取処理について
1) 商品到着後2日(到着後48時間)以内に受取り処理を行ってください。匿名配送の為、商品が落札者様へ届いたかどうかは判りますので、到着してから2日(到着後48時間)を越えて受取処理も無く、受取処理が遅延するご連絡もいただけない場合は、こちらから催促の連絡をさせていただきます。尚、それ以前に催促の連絡があるかもしれませんが、それはシステム側が出力した自動送信です、
2) 今まで配送の追跡後、商品を郵便局や営業所止め等にしてあると判断した場合は、その週末に受け取るものと判断し、翌月曜日までは催促致しませんが、出来れば受取予定期日のご連絡をお願い致します。何のアクションもない場合は、翌月曜日に催促の連絡をさせて頂きます。
3) 催促をかけてから24時間以内に何らかのアクションを頂けない場合は、落札者様の評価または前回までの対応に基づき以下のように対処致します。
(1) 受取処理をしないとの評価がある場合、催促から24時間経過しても何らかのアクションがない場合はブラックリストに登録致します。
(2) 受取処理をしないとの評価が無い場合、催促から48時間経過しても何らかのアクションがない場合はブラックリストに登録致します。
(3) 当方のこの出品または以前の出品で支払い、受取処理で2回以上の警告を受けた場合ブラックリストに登録致します。
(注)これまでの取引で極一部の方の対応に問題があり、これまでより入札条件が細かくなったり厳しくなり申し訳ございません。上記条件にご納得頂けない(上記期間内にお支払い、や受取処理が出来ない、もしくはお支払いや受取処理の遅れる理由を連絡するつもりのない等)場合は入札をご遠慮ください。
5.評価について
1) 評価は、当方に評価いただいた方のみ対応させて頂きます。
2) 評価不要の方は当方への評価も必要ございません。
6.再出品について
これまで落札されなかった商品やいたずら入札で落札がキャンセルされた商品の再出品を行ってませんでしたが、準備出来次第以下の要領で行う予定です。
・即決有り、送料込みでの出品形式の出品となります、掲載期間は未定です。
・基本的に即決価格はアマゾンや相場を参考に商品の状態を考慮し設定し、開始価格も即決価格の9割程度とします。
・通常出品との同梱は基本的に出来ません。
7.その他
1) ご質問がある場合は、オークション終了の24時間前迄に行ってください。
2) 送料も含め値引き交渉は致しません。
3) 現品しかございませんので、基本的にノークレーム・ノーリターン賣家不提供退貨賠償等責任でお願い致します。
4) 新規の方や評価が非常に悪い方、また取引に不安を感じる方は、申し訳ございませんが入札を取消させていただく場合がございます。
上記ご確認の上ご検討ください。
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送付方法 |
ゆうパケットプラス
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支払方法 |
Yahoo!かんたん決済(詳細)
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実艦について |
・重巡利根
◇クラス解説
日本海軍は、機動艦隊の偵察任務を随伴する巡洋艦の水上偵察機に任せ、空母は攻撃隊の発艦準備に専心できる編制としました。このため随伴する巡洋艦の水上偵察機を重視したものの、搭載機数は米海軍巡洋艦の4機を下回ってました。
そこで1934年、最上型巡洋艦の5,6番艦として計画された軽巡洋艦の索敵能力を向上させる為、主砲を1基減じて残り4基を艦前部に集中配置し、艦後部に水上偵察機6機を搭載出来る航空巡洋艦とも呼ぶべき本型の設計を開始しました。
これが後の利根型巡洋艦です。
1935年に起工した段階ではロンドン海軍軍縮会議の制限があったため軽巡洋艦枠で起工しました。このため艦名には河川名がついてます。
しかし建造中にロンドン海軍軍縮条約が失効した為、主砲を60口径15.5cm3連装砲塔から50口径20.3cm連装砲に換装して竣工しました。
このため実質的には重巡なのですが、旧日本海軍の分類上では最後まで軽巡洋艦として扱われてます。
主砲を前部集中配備した為、主砲の爆風に艦載機をさらされる事が無いため、艦載機運用には非常に都合が良く、また主砲の集中配備はバイタルパート部の範囲を狭められるため防御は日本重巡洋艦の中で一番強固となり、また居住スペースも確保出来たため乗員には非常に好評でした。艦橋が艦のほぼ中央部に設置された為舵の感度が良く操艦性も抜群で、航続力も日本巡洋艦中最大で、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦等の長距離遠征ではその能力を遺憾なく発揮してます。
ただし水上機は露天繋止で格納庫が無く、しかも繋止甲板は波浪に洗われやすく搭載機のメンテナンス性に問題があった為、後に建造された大淀では格納庫を設置しています。
利根型巡洋艦の後には鈴谷型をベースとした伊吹型重巡洋艦の建造を行いましたが、建造途中で空母となった為、利根型は日本海軍最後の重巡となりました。
◇個艦解説
利根は1938年11月20日に竣工し、横須賀鎮守府籍となり、翌年の5月20日に竣工した筑摩と共に同日附で第六戦隊を編制しました。
同年11月15日に第六戦隊は第八戦隊となり、12月1日には、利根と筑摩は舞鶴鎮守府に転籍してます。
1940年9月22日、IC作戦が発動され、重巡鳥海や空母蒼龍、飛龍等と共に北部仏印進駐の支援を行いました。
日本時間の1941年12月8日午前1時に、利根及び筑摩の零式水偵は第一次攻撃隊より1時間前にハワイ上空に潜入し気象や湾内の状況を報告、午前1時30分、南雲機動部隊より攻撃隊183機が発進しました。利根の2号機は所在不明の米空母を捜索しましたが見つからず、午前5時30分に帰投してます。
真珠湾攻撃を終えた南雲機動部隊は日本への帰路につきましたが、ウェーク島第一次攻略作戦の失敗により南雲機動部隊へ支援の要請があり、利根・筑摩・蒼龍・飛龍などは南雲機動部隊を離れウェーキ島に向かいました。同年12月21日にウェーク島第二次攻略作戦が始まり、利根・筑摩の水偵が周辺索敵と対潜哨戒を行いました。翌々日の23日にウェーキ島の占領が成功し、ウェーキ島攻略支援艦隊は12月29日に、呉に帰港しました。
1942年1月9日、南太平洋における日本軍の作戦拠点を獲得すべく南雲機動部隊と共に第八戦隊も随伴して出撃、同年1月24~25日に、第八戦隊は軽巡洋艦阿武隈と共に出撃し、水偵隊がアドミラルティ諸島を爆撃してます。その後も通商破壊作戦を行い商船などを砲撃戦で沈めました。
同年3月26日、セイロン島攻撃命令を受け出撃、翌月5日にセイロン沖海戦が勃発し利根の94式水偵と零式水偵が英国東洋艦隊を発見し、南雲機動部隊の艦爆隊を誘導し、英空母ハーミーズ、重巡ドーセットシャー、コンウォールを撃沈してます。その後第八戦隊は南方作戦の終了にともなって日本本土に戻りました。
同年6月上旬にミッドウェー海戦に参加。同海戦では利根4号機がカタパルトの故障で発艦が遅れ敵艦隊発見が遅れたという説と、遅れたからこそ敵艦隊を発見できたという説がありますが、いずれにしても敵艦隊の発見には貢献してます。しかし南雲機動部隊の正規空母4隻は撃沈されてしまいました。
ミッドウェー海戦後も、北方作戦の支援、第2次ソロモン海戦、南太平洋海戦などに参加しました。
1943年に入るとガダルカナル島撤退作戦の牽制を行い、年後半には輸送作戦に従事しました。
1944年1月に重巡利根、筑摩、熊野、鈴谷で第七戦隊を組み輸送作戦に従事、マリアナ沖海戦及び捷号作戦に参加、捷号作戦のサマール沖海戦では空母ガンビア・ベイに接近し砲撃で撃沈しましたが、爆弾1発が後部に命中し一時舵故障となりましたが復旧に成功してます。その後ブルネイに帰還後輸送任務に従事しました。
1945年に入り利根は練習艦に指定され、2月20日より海軍兵学校練習艦として呉に停泊となりました。
同年3月19日至近弾を受け3番砲塔が使用不能となり、7月24日と7月28日の呉空襲時に爆弾が命中し大破着底し、そのまま終戦を迎えました。
竣工:1938年11月20日
大破着底:1945年 7月28日
排水量:13,320トン(公試)
全長:201.6 m
速力:35.55ノット
主武装:50口径20.3cm連装砲塔x4基
・駆逐艦吹雪
◇クラス解説
ワシントン海軍軍縮条約により、保有制限を受けない補助艦艇の整備の強化を行なう事にしました。
八八艦隊計画では大型の一等駆逐艦と中型の二等駆逐艦を整備することしてましたが、米国には隻数でかなわないため、中型の二等駆逐艦の整備は行わず、個艦性能の高い大型の一等駆逐艦のみを建造することとしました。
これにより計画は見直され、大正一二年度計画では一等駆逐艦(1,400トン型)24隻の建造が計画されました。
最初の4隻は533mm魚雷搭載の神風型が建造されましたが、次の12隻は速力37.3ノット 61cm三連装魚雷発射管を2基、12cm単装砲四基搭載する重武装とし、睦月型として建造されました。
残り8隻は計画を見直し、更なる重武装化を軍令部から要請され、1,700トン型として5隻が建造されました。この1,700トン型が吹雪型となります。吹雪型駆逐艦はその過大すぎる要求性能を実現するため、1924年計画時に「特型駆逐艦対策委員会」が艦政本部内に設けられ、これが発端となり特型駆逐艦とも呼ばれるようになりました。
吹雪型は航海性能重視の船体と、密閉式艦橋などの居住性改善、排水量に対して防楯付12.7cm連装砲塔3基、61センチ魚雷発射管9射線との重武装で最高速度37ノットを発揮しました。船体は新方式の電気溶接や軽合金(初期の頃)等徹底的な軽量化が図られましたが、実際の排水量はかなり超過しました。
吹雪型は大正12年度計画で吹雪、白雪、初雪、叢雲、深雪の5隻が、1926年の予算で磯波、東雲、薄雲、白雲の4隻が、昭和2年度計画で15隻が建造しましたが、吹雪型駆逐艦は予想以上の好成績を収めたため、この事実が諸外国に知れ渡ると建艦競争に陥る可能性があるため建造は24隻で打切られましたが、やはり吹雪型駆逐艦の存在は各国に衝撃を与えたため、1930年に開かれたロンドン海軍軍縮条約では、1,500トン以上の駆逐艦にも保有量の制限が課せられる事になり、また吹雪型に対抗して米海軍はポーター級駆逐艦を英海軍はトライバル級駆逐艦を建造してます。
吹雪型駆逐艦はこれ以降の日本海軍駆逐艦の基本形となり、また日本の水雷戦隊の中核を成し、1934年には当時の花形の第二水雷戦隊全艦が特型駆逐艦となってます。
しかし友鶴事件や第四艦隊事件により復元性能や強度不足が発覚し、性能改善工事が行われた結果排水量が増大し、速度が34ノット迄低下しました。しかしながら耐波性能や凌波性はどの優れた性能を維持してました。
吹雪型駆逐艦は竣工時既に計画より200t超過してましたが、機関関係の重量だったため復元性には問題ありませんでした。しかし後期の艦になるほどトップ重量が増し、既存艦も18回の改正により重量が増していきました。
1934年3月の友鶴事件で本型の復元性を見直され艦橋構造物の縮小化などの改善工事を行いました。
他艦も同様の工事が行われ、その他に多くの指揮装置や計器類が撤去され、煙突の短縮も行われた。
翌1935年9月に起きた第四艦隊事件では、初雪、夕霧の艦首が切断され、その他の同型艦にも船体に屈曲や歪み、亀裂などが生じました。本型は竣工後2~3年経った頃より強度上の問題が発生し、この事件を機会に艦首楼甲板や艦尾側の上甲板などの厚板化、デッキガータの増設、助骨、梁、デッキ、梁の補強などの徹底的な補強を行いました。この結果復元性や船体強度の問題は解消されましたが、排水量が増大し(電の場合計画時排水量2,050トンが改修後の公試排水量が2,450トンに増大)し、速力が37.5ノットより34.5ノットに低下しました。
喫水が増加し乾舷が低下したものの耐波性や凌波性に問題はありませんでした。
また響と深雪が衝突事故を起こし深雪が沈没し、太平洋戦争開戦時には吹雪型駆逐艦は23隻となってました。
太平洋戦争では各戦線、護衛や輸送と各任務に従事しましたが、それゆえ消耗率も激しく、終戦まで生き残ったのは潮と響の2隻のみでした。
特型駆逐艦という呼び方は、吹雪型駆逐艦だけでなく、次型である初春型、白露型、朝潮型駆逐艦を含んで呼ぶこともあります。また前型の睦月型、峯風型、神風型駆逐艦は並型駆逐艦と表現する場合もあります。
吹雪型駆逐艦は命名前は第三十五号駆逐艦と呼ばれ、命名後は吹雪型駆逐艦と呼ばれ、吹雪沈没後は白露型駆逐艦、更に初雪型駆逐艦に改められてます。
また吹雪型駆逐艦自体にも分類があり、4隻単位で雪型、雲型、波型、霧型という分類や吹雪型駆逐艦を16隻として、後期の8隻を朧型とする分類もあり、資料によりその他の分類方法もあります。
外観による分類としては大正一二年度と大正一五年度に建造されたA型12.7cm連装砲塔搭載及びキセル型缶室吸気口の9隻をⅠ型(吹雪型)、Ⅰ型のA型12.7cm連装砲塔と艦橋構造物とⅡ型のお椀型缶室吸気口(荒天時の海水流入対策形状)を持つ改Ⅰ型(又はⅡA型)の浦波(ただしⅠ型に含む場合もあり)と分類。
Ⅰ型より大型の艦橋構造物と後に日本駆逐艦の標準形状となるお椀型缶室吸気口を持ち、A型の仰角40度から75度に引き上げたB型12.7cm連装砲塔を持つ昭和二年度計画の綾波から潮までの10隻をⅡ型(綾波型)、ただし朧、曙、漣、潮の4艦は煙突の高さが低く形状も若干変化してるためⅡ型後期型とする場合もあります。
排水量が計画より200t超過してるため、重量物である缶を減らす事とし、空気余熱器で缶の効率を高め缶数を4缶から3缶に減らした事で1番煙突が細くなり、更に艦橋構造物の大型化と魚雷発射管に防楯を装備した最後の4隻をⅢ型(暁型)としてます。尚、友鶴事件を第四艦隊事件後の性能改善工事で艦容が一番変わった特型駆逐艦でもありました。
・船体
船体は長船首楼型で大きく乾舷を取り、艦首には急激なシアと強いフレアを付ける等随所で凌波性に極めて有効な形状を採用し、初春型駆逐艦や千鳥型水雷艇にも採用されましたが、工数が極めて多く、船体強度上にも不利だったので白露型駆逐艦以降は廃止されました。
また小さな助骨を増やし外販の厚さを減らしたり、ステーやビラーを減らす代わりにガーターを強化、小型の鋲を使うなど構造的に極端な軽量化が行われ、工数は増えたものの浦波では計画より10t排水量が減りました。
しかし艦前後の強度を中央に比較して落としたため、第四艦隊事件で艦首を切断する遠因となりました。
その他に駆逐艦で初めての二重底採用とビルジキールの2枚化をおこなってます。
・艦橋
艦橋は荒天時の長時間戦闘を考慮し固定天蓋と全面窓ガラス易碎品限空運,非易碎品可使用海運。 を付けエンクローズド艦橋としました。また艦首のシアと1番砲を考慮し艦橋を高くしたものの重心の上昇を考慮しジュラルミン等の軽合金を使用しましたが、海水による腐蝕が激しく後にアルミに変えたり使用範囲を縮小化しました。
艦橋位置は船首楼甲板の後端とし、吹雪型は操舵機が羅針艦橋内にありましたが、それ以降は1段下の操舵室に移動しました。また羅針艦橋後部に発射発令所と艦長休憩室があるなど艦橋位置も含め、以後の日本駆逐艦の標準となりました。
前部マストも吹雪型駆逐艦で初めて三脚楼が採用されてます。
・機関関連
主缶としてロ号艦本式重油専焼缶を4基搭載し、主機は艦本式ギアード・タービンを2基を左右舷に分け搭載しました。漣には実験的に空気余熱器を取付て運用したところ良好な結果となったため暁以降の4隻は主缶を1基減らし3基とし、超過した排水量を減らせたが、艦底部の重量が軽減されたことにより復元性が悪化しました。
缶室吸気口はⅠ型では背の高いキセル型としましたが、荒天時の高速航行時には海水が浸入するため、改Ⅰ型よりお椀型缶室吸気口とすることで海水の浸入を防ぐと共に空気を予熱することで艦の効率も上がり、以後の日本駆逐艦の標準となりました。
ただ航続距離は初雪の公試で13.456ノットで4,875海里となり、世界的に見ればまだ不足してました。
・武装関連
主砲は日本駆逐艦として初めて砲塔形式の12.7cm連装砲を搭載し、既存の駆逐艦の防楯無しの単装砲架砲塔より操作性や耐荒天性が向上しました。この砲塔形式は秋月型松型を除く日本駆逐艦の標準形式となりました。
Ⅰ型及び改Ⅰ型が搭載したA型12.7cm連装砲塔は最大仰角40度で左右砲身連動式でしたが、B型は最大仰角75度で左右砲身が別々に俯仰することが出来ました。防楯の装甲厚は薄かったもののそれでもA型で25.4トン、B型では31トンもあり、友鶴事件と第四艦隊事件後の性能改善工事でB型砲塔はB型改1またはC型に改造又は交換されました。C型砲塔は最大仰角55度とB型より低くなってますが、これは対空射撃には低い仰角の方が効果的だったためです。大戦中には対空機器増強のため2番砲塔を撤去し機銃を増設してます。
魚雷は次発装填のない61cm3連装魚雷発射管(12年式61cm三連装水上発射管)を3基搭載し、次発魚雷は格納筺の魚雷をスキッドビーム上のクレーンにより装填しました。尚、缶室吸気口形状の違いからⅠ型のみ1番発射管の位置が高い位置に装備されてます。魚雷発射管の防楯は荒天時の操作性向上に効果があり、敷波から装備されⅢ型は標準装備となりました。未装備の艦も1932~1933年に順次装備され当初ジュラルミン製でしたが、腐蝕が早いため鉄製に改められました。魚雷の搭載数は当初八年式魚雷を18本でしたが、1935年から90式魚雷を12~18本搭載となり、1943年8月以降薄雲、白雲、浦波、夕霧、曙、潮、響の魚雷発射管が改造され、93式魚雷(酸素魚雷)が当御際されてます。
対空機銃は計画時には毘式40mm単装機銃2挺搭載予定でしたが、Ⅰ型と改Ⅰ型は留式7.7mm単装機銃2挺を装備し、Ⅱ型、Ⅲ型は毘式12mm単装機銃2挺に増強されました。
大戦中には2番主砲を撤去し25mm3連装機銃2基、艦橋前に機銃台を設置し25mm連装機銃1基、2番、3番魚雷発射管の間に機銃台を設置し25mm3連装機銃2基増備しました。
◇個艦解説
吹雪は吹雪型のネームシップでⅠ型に属します。
吹雪は舞鶴工作部で1926年6月19日に起工し、起工時には第三十五号駆逐艦と命名され、1927年11月15日に進水し、1928年8月1日に吹雪と改称され、同年8月10日に竣工しました。
吹雪は竣工後、同型艦の白雪、初雪、深雪と共に第11駆逐隊を編制し、1931年には東雲、磯波と共に第20駆逐隊を編制してます。
1935年9月26日の第四艦隊事件では、同型艦の初雪、夕霧が艦首切断の損害を受け、吹雪型の艦体強度が問題となったため吹雪も改装されました。
1936年末に編制変更を受け第11駆逐隊に復帰、1937年11月に第11駆逐隊は杭州湾上陸作戦に参加し、上陸援護を行ってます。その後太平洋戦争開戦までは主に演習に従事してました。
太平洋戦争開戦時にも吹雪は第11駆逐隊に属してました。1941年12月9日に戦艦プリンス・オブ・ウェールズを含む英国東洋艦隊Z部隊の北上を察知し、小澤司令のもと南遣艦隊と共にZ部隊との夜戦を試みるも、翌日海軍第二十二航空戦隊の攻撃でZ部隊は壊滅しました。
同年12月13日、マレー半島上陸船団護衛後に狭霧とともにボルネオ上陸作戦の護衛隊に参加しカムラン湾を出撃しました。12月24日にオランダ潜水艦K XVIの雷撃で狭霧が爆沈。吹雪は初雪や白雪と共に狭霧の生存者を救助後カムラン湾に帰投しました。
1942年1月26~27日のエンドウ沖海戦では米英艦隊と交戦し、僚艦と共に英駆逐艦サネットに攻撃を加え撃沈しました。その後は南部スマトラの攻略に参加し、2月13日に吹雪は朝霧と共に英国砲艦スコーピオンを撃沈、翌日には英哨戒艇トランプ、特設哨戒艇リ・ウォを撃沈しました。2月15日には英特設敷設艦と駆潜艇を擱座させ、2月16日には英高速艇2隻を捕獲し、軽巡川内とともに英国タンカーRELAUを捕獲しました。
2月18日情話島攻略部隊護衛のため参加しカムラン湾を出撃、2月28日にジャワ島西端のメラク湾・バンダム湾に入泊、その際春風と共に敵監視艇を擱座させました。
翌3月1日のバタビア沖海戦では、連合軍の米巡ヒューストンと軽巡バースを三隈と最上、敷波と共同で撃沈してます。その後第11駆逐隊は編成を替えながらシンガポールに向かい、北部スマトラ掃蕩作戦、アンダマン攻略作戦に参加し、4月上旬にはベンガル湾機動戦に参加しました。吹雪は本作戦終了後呉に帰投しました。
6月上旬のミッドウェー海戦では本隊の護衛を行い、8月7日以降のガダルカナル島の戦いに於いては鼠輸送作戦に投入されました。8月29日、8月31日のガ島揚陸作戦には成功し、9月2日のガ島輸送作戦では敷設艦津軽などによる輸送艦艇の護衛をした後駆逐艦で飛行場砲撃を実施し、帰路で空襲を受け津軽が小破しました。
9月5日にもガ島輸送を実施、9月8日には米輸送艦出撃の報告を受け出撃するも空振りしました。
9月12日には軽巡川内などとルンガ泊地に夜間突入し砲撃を実施し、9月14日にはガ島攻撃と輸送を行いました、
9月16日、10月1日、10月4日、10月7日にもガ島輸送を行い途中で空襲を受けるも成功しました。
1942年10月11日重巡3隻と共にヘンダーソン飛行場の砲撃に向かい砲撃を開始しようとしたところ待ち構えていた米艦隊と遭遇しサボ沖海戦が始まりました。この時既に日本艦隊は米艦隊に捉えられており、米艦隊は砲撃を開始し、吹雪及び青葉が命中弾を受けました。吹雪は青葉と同航し右旋回するも米艦隊の集中砲撃を受け撃沈されました。
就役:1928年8月10日
戦没:1942年10月11日
排水量:1,980トン(公試)
全長:118.5メートル
最大速力:38.0ノット
主兵装:50口径12.7cm連装砲×3基
◇天龍型軽巡洋艦
天龍型は近代的軽巡洋艦の第1艦とされるイギリス海軍のアレトゥーサ級巡洋艦を参考に設計されました。
このアレトゥーサ級巡洋艦は、従来の英国海軍偵察巡洋艦が速力が遅く駆逐艦隊との連携や敵駆逐艦への攻撃には問題があった為、1911年に設計速度30ノットを目標として計画されました。
このアレトゥーサ級巡洋艦の機関には駆逐艦型の高速蒸気タービン(パーソンズ式直結タービン)を初めて採用し、また重量を軽減し出力を高めるために重油焚きボイラ(ヤーロウ式重油混焼水管缶)を採用しました。
艦形は初期の偵察巡洋艦を引き継いでますが、防御はタウン級(前級)の後期艦と同じく舷側防御を採り入れました。尚、従来の偵察巡洋艦は水平装甲と石炭庫での防御方式で、アレトゥーサ級が採用した装甲方式は装甲巡洋艦と同じ方式ですが装甲巡洋艦程厚くはありません。
天龍型はこのアレトゥーサ級巡洋艦と同様水雷戦隊の旗艦任務を務めるため30ノット程度の高速性と軽装甲を備えた江風型駆逐艦の拡大型の軽防御嚮導駆逐艦とも言える艦艇で、日本の近代軽巡洋艦の始祖となる巡洋艦でした。
1915年に八四艦隊案(八・八艦隊の第一案)の一部が成立。この中に3,500トン型軽巡洋艦2隻が含まれており、同年中に設計を終え翌年の予算で建造が決定し、天龍型2艦(天龍と龍田)が建造されました。
天龍は横須賀海軍工廠で、龍田は佐世保海軍工廠で建造されましたが、天龍はタービンの故障により工事が遅れ、龍田の方が先に竣工しました。
天龍型は設計においても巡洋艦では無く大型駆逐艦を標準として各部が計画されました。主砲は前型の筑波型が四一式45口径15cmを搭載してましたが、日本人の体力では連続発射に難があるため、戦艦伊勢の副砲に採用されていた3年式14cm単装砲を中央線上に4基配備してます。更に日本海軍巡洋艦として初めて竣工時より高角砲(8cm単装高角砲)を1基搭載しました。水雷兵装は6年式3連装53cm魚雷発射管を艦中央に2基搭載し、機雷投下軌条を2基設置してました。 装甲は米海軍駆逐艦の4インチ砲に対する防御として設計されました。 主機は日本の巡洋艦以上の艦艇では初となるオール・ギアード・タービンを搭載しましたが、タービンブレードが脱落するなど故障が頻発したようです。ボイラはロ号艦本式を採用し重油専燃缶が大6機と小2機、混焼缶を2機搭載しました。
両艦とも水雷戦隊旗艦設備が設けられてます。
1917年に成立した八四艦隊完成案では天龍型6隻と7,200トン型3隻を建造する予定でしたが、米海軍のレキシントン級巡洋戦艦が33ノット(当初の計画では35ノット)と高速なため、レキシントン級と遭遇した場合逃げ切れないことと砲力の強化が要望され、天龍型6隻と7,200トン型3隻の建造計画は、5,500トン型軽巡8隻(球磨型5隻と長良型3隻)と3,100トン試作型(夕張)1隻の建造計画に改められました。
このため天龍型は2隻のみで打ちきりとなってます。
天龍型は天龍が1930年頃、龍田が1935年頃、前部マストを3脚型にし若干高さが低められ、羅針艦橋の側面が鋼製ブルワークが行われ、大戦前には羅針艦橋上部天蓋の固定化等が行われました。
大戦中の1942年2月に1番煙突直前の左右機銃台に25mm連装機銃を1基ずつ配備し、その代わり13mm単装機銃2挺と礼砲2門を撤去しました。同年6月には3番煙突後方の左右機銃台に25mm連装機銃2基増設しました。また探照灯を1番煙突と2番煙突の中央に移設し前部マストの短縮を行ってます。
舷外電路は龍田が開戦時に、天龍は1942年6月に行ってます。
1942年12月18日に天龍は沈没し、龍田は1943年1月~3月にかけ修理を行った際艦橋部の機銃を7.7mm単装機銃2艇に変更してます。
天龍型は1928年迄水雷選定旗艦を務め、その後は中国方面の軽微などに従事しました。太平洋戦争開戦後はウェーク島攻略作戦に従事し、その後は南東方面の攻略作戦を支援しました。その後は第一次ソロモン海戦及びガダルカナル島の戦闘に編入されました。
天龍は第3次ソロモン沖海戦後ニューギニア方面への輸送作戦従事中の1942年12月18日に米潜アルバコアの雷撃で沈没し、龍田は1944年3月の松輸送従事中に米潜サンドランスの雷撃で沈没しました。
また天龍型軽巡洋艦は1935年より防空巡洋艦の改造計画があったと言われますが、現在では福井静夫氏の私案として存在しているだけとのことです。
竣工:1919年11月20日(天龍), 1919年3月31日(龍田)
沈没:1942年12月18日(天龍), 1944年3月13日(龍田)
排水量:3,230トン(基準)
全長:142.65 m
速力:33.0ノット
主武装:50口径三年式14cm砲単装砲x4基
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インフォメーション |
◆大和型戦艦の模型に関しては「ワタ艦同人誌情報」に下記の大和型戦艦模型の情報を掲載してます。オンラインPDF版(サイズ超大)とダウンロード版(ZIP)を置いてますのでご興味があれば覗いてみてください。
● 大和型軍艦の模型史考2015~2022(2015年以降の大和型軍艦模型をまとめたもの)
※ 現在体調不良の為、更新が伸びていますので、大和型軍艦の模型史の更新はもう少しお待ちください。
● 大和型軍艦の模型史考2015 (2015年迄の大和型軍艦模型をまとめたもの)
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