序章:銀幕の巨神、カナダの深林に消ゆ──『大金塊』という名の狂乱の秘境
1982年。映画史のクロニクルにおいて、この年は『E.T.』が世界中を涙と感動で包み込み、『ブレードランナー』がSFの地平を永久に変革した奇跡のヴィンテージ・イヤーとして刻まれている。しかし、その輝かしい表舞台の陰で、ハリウッドの歴史に深く穿たれた一筋の、あまりにも異彩を放つ「鉱脈」が存在したことを覚えている者がどれほどいるだろうか。
その作名は『大金塊』(原題:Mother Lode、別名:Search for the Mother Lode: The Last Great Treasure)。
『十戒』で紅海を叩き割り、『ベン・ハー』で戦車を走らせ、『猿の惑星』で崩壊した自由の女神を前に崩れ落ちたハリウッド最後の巨神、チャールトン・ヘストン。彼が映画人生のすべてを賭け、主演のみならず自らメガホンを取り、己の肉体とキャリアの全存在価値をぶち込んだ最大にして最高の狂言──それが本作である。
本作は、単なる80年代のアドベンチャー・サスペンスという枠組みには到底収まりきらない。一見すると、カナダの大自然を舞台にした極北のトレジャーハンティング映画でありながら、その実態は「超大物ハリウッドスタアによる自主制作映画的暴走」「カナダの秘境で炸裂するバックウッド・スラッシャー(田舎のホラー)的狂気」「モンティ・パイソン※蛇製品部分屬於華盛頓條約条約牴觸物品,無法國際運送,下標前請確認或詢問服務人員。も素通りする謎のスコットランド方言とバグパイプのエクストリーム全開演技」そして「予期せぬ本物の飛行機墜落事故をそのまま本編に組み込んで成立させてしまう破天荒なライブ感」が複雑骨折を起こしたまま奇跡的なバランスで成立している、映画界の超弩級オーパーツなのだ。
ハリウッドの歴史において、トップスターが自作の監督兼主演を務め、失速していく例は数知れない。しかし、ヘストンが到達したこの『大金塊』の域は、単なる失速や迷走などという生ぬるい言葉では言い表せない。それは、巨星が自らの引退の花道を、自ら掘り進めた金鉱の爆発とともにド派手に打ち上げた、壮大なる「キャリア殺しの狂想曲」なのである。
第1章:ヘストン一族の野望──アガメムノン・プロダクションの謀略
『大金塊』の成立背景を紐解くとき、我々はまず、チャールトン・ヘストンという男の内に秘められた「家族愛」という名の絶対的権力構造に目を向けなければならない。本作を製作したのは、ヘストン家が所有するプライベート・プロダクション「アガメムノン・フィルムズ(Agamemnon Films)」である。古代ギリシャの英雄王の名を冠したこの制作会社の陣容を見れば、本作がどれほど徹底した「ヘストン一族のファミリービジネス」であったかが一目瞭然となる。
監督:チャールトン・ヘストン 脚本・製作:フレイザー・クラーク・ヘストン(チャールトンの実息子) スチール写真:リディア・クラーク・ヘストン(チャールトンの妻)
まさにヘストン家による、ヘストン家のための、ヘストン家による映画制作。一家総出の家庭内内職が、何百万ドルもの予算を投じてカナダの極北の地で繰り広げられたのだ。
脚本を手掛けた息子フレイザー・C・ヘストンは、自ら後年のインタビューで公言している通り、ハリウッド黄金期の巨匠ジョン・ヒューストンが誇る名作『黄金』(1948年)の精神的リメイク、あるいは現代的変奏を目指していた。人間が金への欲望によって正気を失い、互いに疑心暗鬼に陥っていく悲劇的ドラマ。フレイザーはこの高尚なクラシックの遺伝子を、自らのペンで80年代のカナダの大自然に移植しようと試みたのである。
しかし、出来上がったシナリオの基本構造は、ジョン・ヒューストンというよりも、ピーター・ベンチリーの『ザ・ディープ』のカナダ版、あるいは70年代後半から80年代初頭にかけて吹き荒れたカナディアン・スラッシャー(『血のバレンタイン』や『プロムナイト』など)の匂いをプンプンと漂わせる「変種サスペンス」であった。
フレイザー少年(当時まだ若き新鋭)は、父チャールトンという「絶対的威厳」を前にして、己の映画的欲望と父親への孝行心をブレンドした。その結果誕生したのは、格調高いゴールドラッシュの人間ドラマではなく、「大自然の中で狂った巨漢の老人が、若い男女をダイナマイトとピッケルで追い回す」という、あまりにも味わい深いB級ホラー的怪作の設計図だったのである。
第2章:配役の妙──若き日のセックスシンボルと悲劇のパイロット
物語は、ブリティッシュ・コロンビアの未開の荒野へと挑む若き男女の姿から幕を開ける。
地質学者の夫ジョージ・パターソンがカナダ北部の奥地で行方不明になったことを知った妻アンドレア・スポルディング。このアンドレアを演じるのが、当時まだキャリア2作目、後に『ネバーセイ・ネバーアゲイン』のボンドガールや『ナインハーフ』で世界中の男性を虜にする若き日のキム・ベイシンガーである。本作における彼女の美しさは、文字通り画面から後光が射すレベルであり、暗く湿ったカナダの山林の中で唯一の光として機能している。
その彼女が、夫の捜索のために雇う破天荒なセスナ機パイロット、ジャン・デュプレを演じるのがニック・マンキューソだ。ジャンは単なる親切なパイロットではない。彼は「行方不明の夫は実は手つかずの莫大な金鉱(マザー・ロード)を発見し、妻を捨てて潜伏しているに違いない」という勝手な妄想を膨らませ、一瞬で自らも金鉱掘りの狂気に取り憑かれてしまう男である。家を売り払い、手に入れたボロい水上飛行機と採掘機材を積み込んで、アンドレアを引き連れて北極圏近くの秘境へと飛び立っていく。
ここで注目すべきは、主要キャラクターたちの欲望のベクトルだ。
アンドレア(キム・ベイシンガー): 行方不明の夫を心配し、一刻も早く家に帰りたい常識人。
ジャン(ニック・マンキューソ): 捜索の手伝いは建前で、目に入った黄金の幻影に目が眩みまくっている男。
サイラス・マギー(チャールトン・ヘストン): 30年間山に籠もり、金(と銀)を守るためなら殺人すら辞さない本物の狂人。
この「帰りたい女」「目が眩んだ男」「狂った怪物」という3者の三角形が、カナダの深い緑と冷たい水に囲まれた極限状態の中で擦れ合い、摩擦熱を生み出していく。
第3章:神の奇跡か悪魔の悪戯か──「本物の飛行機墜落」をシナリオに組み込む暴挙
映画史において、撮影中の事故が奇跡的に作品を名作に高める事例はごく稀に存在する。しかし、『大金塊』における事故の処理方法は、映画撮影の常識を遥かに超越した「豪快すぎる怪談」として語り継がれるべきものである。
ロケ地はカナダ、ブリティッシュ・コロンビア州スコーミッシュ近郊のラブリー・ウォーター湖(Lake Lovely Water)。息をのむほど美しい景観を誇るこの山頂の湖で、水上飛行機の着水シーンを撮影していたときのことだった。
パイロットの操縦ミスか、急激な下降気流のためか、撮影に使用していた本物の水上飛行機が着水時にバランスを崩し、水面を激しく転倒(カートウィール)しながら大クラッシュを起こしたのだ。翼はへし折れ、機体はひっくり返り、そのまま氷のように冷たい湖の底へと沈んでいった。
幸いなことに、パイロットも乗員も奇跡的に無傷で生還した。しかし、アガメムノン・フィルムズの低予算自主制作映画にとって、映画の最大の小道具である水上飛行機が全壊し沈没したことは、普通であれば製作中断・破産を意味する大惨事である。
ここで監督チャールトン・ヘストンと脚本のフレイザー親子が取った行動がヤバすぎる。
「おい、カメラは回っていたか?」 「はい!バッチリ超絶臨場感あふれる映像が撮れています!」 「よし、ならこのクラッシュをそのままストーリーに組み込もう!」
なんと彼らは、事故の瞬間のリアルな映像をそのまま作品のクライマックス級のアクションシーンとして本編に採用。ジャンとアンドレアが乗り込んだ飛行機がトラブルで湖に激しく撃墜・沈没するシーンへと脚本をその場で突貫改変したのである!
画面に映し出される飛行機の惨状は、特撮でもミニチュアでもスタントでもない、100%本物の事故映像。水面を何度も叩きつけられ、派手に破壊されていく機体。カットがかかった後の「本当に死にかけた役者とスタッフの凍りついた空気」が、皮肉にも作品の中で最高の緊張感とリアリティを生み出すという怪奇現象。怪しい怪獣映画も真っ青のこの「災い転じて福となす」を地で行く力技こそ、ヘストン親子の映画に対する異常なまでの執念と、ある種の狂気を物語っている。
第4章:怪神チャールトン・ヘストン爆誕──スコットランドの怪物サイラスと謎の弟イアン
湖に沈み、文明社会からの退路を完全に断たれたジャンとアンドレア。二人は老先住民の漁師エライジャ(演じるのは『ゴッドファー※請確認是否動物毛皮。動物毛皮製品屬於華盛頓條約条約牴觸物品,無法國際運送。ザー』のジャック・ウォルツ役で有名な名優ジョン・マーレイ!)の制止や警告を無視して、さらなる奥地へと足を踏み入れていく。
そこで彼らを待ち受けていたもの──それこそが、本作最大の核兵器、チャールトン・ヘストン演じる老鉱夫サイラス・マギー(Silas McGee)の登場である。
映画開始から約30分、ついに姿を現したヘストンのビジュアルは、全映画ファンを絶句させるに十分な破壊力を秘めている。ボサボサに伸び散らかした白髪交じりの髭、泥と垢で汚れ切ったボロ切れのような服、目つきは完全にイッており、開口一番、ドのつくレベルのコテコテなスコットランド訛り(Scottish Burr)で大声を張り上げる。その姿は、往年の『ベン・ハー』の気品や『十戒』の神聖さなど微塵もなく、まるでイギリスのコメディ番組『モンティ・パイソン※蛇製品部分屬於華盛頓條約条約牴觸物品,無法國際運送,下標前請確認或詢問服務人員。』でマイケル・ペイリンが演じていた「It's Man(あのボロ布を着て『It's...』と叫ぶ男)」そのものである。
サイラスは、この極北の山中で30年間にわたり、一人で銀(と隠された金)を掘り続けていると主張する。彼の案内で入っていく私設鉱山(マザー・ロード)の内部は、圧巻の一言だ。腐りかけた木材の支柱、湿りきった岩肌、どこからか絶え間なく浸水してくる川の水、そして claustrophobic(閉所恐怖症)を誘発する狭く暗いトンネル。セット感が皆無のこの本物の不気味な鉱山内部は、まるで『悪魔の毒々モンスター』や『悪魔のいけにえ』の地下室のような湿った狂気に満ちている。
さらに物語は狂気の度合いを増していく。サイラスには、彼以上に正気を失った生き写しの双子の弟「イアン・マギー(Ian McGee)」が存在するというのだ!
このイアンがまた輪をかけてヤバい。彼は極度の金熱(Gold Fever)に冒され、完全に理性を失い、スコットランドの伝統衣装であるキルトを身に纏い、夜な夜な山中でバグパイプを吹き鳴らし、ゲール語の謎の言葉を叫びながら、鉱山に近づく人間をピッケルで惨殺してまわっているというのだ。
「チャールトン・ヘストンが二人!? 一人はコテコテの訛りで喋る狂った老鉱夫で、もう一人はキルトを着てバグパイプを吹きながら襲いかかってくるキチガイの双子の弟!?」
この設定を聞いて正気でいられる映画ファンがどこにいようか。ヘストンは本作で、一人二役という名目のもと、自らのパブリック・イメージを粉々に粉砕しながら、ノリノリで二重の狂気を演じ分けているのだ。
第5章:名シーン解剖──ダイナマイトの「チキンレース」と暗闇のスラッシャー体験
本作『大金塊』が、単なる「駄作」のレッテルを貼られつつも、一部の熱狂的カルトファンから愛され続けている理由は、ヘストンの怪演もさることながら、サスペンス映画として不気味なほど研ぎ澄まされた「奇跡のような数分間」が幾度となく訪れるからだ。
特に映画史に残る(べき)屈指の名シーンが、サイラスとジャンの間で行われる「ダイナマイト・チキンレース」である。
自分の鉱脈を狙っているのではないかとジャンを疑うサイラスは、狭い鉱山の坑道内で、おもむろに一本のダイナマイトを取り出す。そして、3分間の導火線に不敵な笑みを浮かべながら火をつけるのだ。 シューシューと煙を上げて縮んでいく導火線。狂った老人は、狭い坑道の中で穏やかに立ち尽くし、ジャンに向かって語りかける。どちらが恐怖に耐えかねて、先に坑道の外へ逃げ出すか──命を賭けた究極のチキンレース。
このシーンにおけるヘストンの不気味な余裕と、汗まみれになって恐怖に震えるニック・マンキューソの対比は絶品である。往年の大スタアが見せる「本物の狂者の瞳」。導火線が指先まで迫っても眉一つ動かさないサイラスの姿は、冷や汗なしには見られない。
また、映画後半の展開は完全なホラー映画/スラッシャー映画へと変貌を遂げる。 夜の闇に包まれたサイラスの荒屋。外は大雨。湿りきった空気の中、アンドレア(キム・ベイシンガー)に忍び寄る影。それがサイラスなのか、それともバグパイプを吹く弟イアンなのか分からないまま、観客は暗闇の恐怖へと叩き落とされる。
この「暗闇」の演出が実に徹底している。撮影監督のリチャード・ライトマンによるライティングは極限まで抑え込まれており、映画の後半の半分近くは「ほぼ真っ暗」な状態で進行する。当時のドライブイン・シアターの薄暗いスクリーンや、画質が劣化しまくったVHSテープで観た観客は「暗すぎて何が起こっているのかサッパリ分からない」という地獄を味わったと思われるが、現代の高品質なメディア環境で観直すと、そのリアルで湿度の高い暗闇が、得体の知れない恐怖を完璧に醸し出していることがわかる。
第6章:映画としての破綻と輝き──評価の相克
ここで、一般的な映画批評の視点から本作を客観的に精査してみよう。正直に言って、『大金塊』は映画としての欠陥やツッコミどころの宝庫である。
第一に、テンポの悪さとプロットの散漫さだ。大自然の空撮映像(ジョー・カナットの手による第二班監督の空撮ショットは確かに息をのむ美しさである)が美しすぎる反面、ストーリー展開は極めて鈍重で、だらだらとした会話劇が続く。アクションシーンは静的で、ダイナミズムに欠ける。
第二に、音響設計(音のミキシング)の悲劇的な不備である。ワーナーからリリースされたDVD等でも指摘されているが、モノラル音声のミキシングが非常に雑で、劇伴音楽やせせらぎの効果音がやたらと大きく、役者たちのセリフ(特にヘストンのコテコテのスコットランド訛り)が掻き消されて聞き取りづらいという致命的な欠陥を抱えている。
第三に、ターゲット層が不明である点だ。 ハリウッドの伝統的な「チャールトン・ヘストンファン」は、歴史劇やSF映画で正義のヒーローを演じる彼を期待して劇場に足を運んだ。しかし、スクリーンの前に現れたのは、ボロ布を着てダイナマイトを振り回し、キム・ベイシンガーを襲う狂ったオッサンである。ファンは困惑し、絶句し、劇場を後にした。 一方で、当時台頭していた若いホラー/スラッシャー映画のファン層からすれば、往年の大スタアが主演する堅苦しいアドベンチャー映画など端から観に行く気になれなかった。結果として、本作は「誰に向けた映画なのか誰も分からない」という空転状態に陥り、興行的には記録的な大爆死を遂げることとなった。
映画の公開時に作成された2種類のポスター(ワンシート)も、目も当てられないほどデザインがブサイクで不評を買った。これでは客が入るはずもない。当時のDVDの裏ジャケットには、ヘストンの劇中の決めゼリフが空しく躍っていた。
「俺の鉱山から出ていきやがれ、小僧!(You stay the hell out of my mine, laddie!)」
このセリフの哀愁とシュールさこそが、本作のすべてを物語っている。
第7章:巨星の落日──主演俳優チャールトン・ヘストンの終焉と遺産
『大金塊』は、チャールトン・ヘストンというハリウッドの「最後の巨頭」にとって、劇場の主演映画としては事実上の遺作(最後の主演作)となった。
もちろん、彼はこの後も完全に引退したわけではない。TVドラマの最高峰『ダイナスティ』のスピンオフ作品『ザ・コルビーズ』に出演し、テッド・ターナーのテレビ映画で絶賛され、全米ライフル協会(NR故障品(垃圾品)、問題商品、可能無法修理,請注意A)の会長として政治的・社会的な影響力を強めていった。映画でも『トゥームストーン』(1993年)やケネス・ブラナー監督の『ハムレット』(1996年)などで渋い脇役として顔を出し、圧倒的な存在感を示し続けた。
しかし、彼が「映画の主役」としてスクリーンの中央に君臨した時代は、この『大金塊』の金鉱の爆発とともに静かに幕を閉じたのである。同世代のライバルであったポール・ニューマンが、晩年まで第一線の主演俳優として華々しく活躍し続けたことと比較すると、ヘストンの主演キャリアの終わり方は、あまりにも不器用で、無様で、しかしだからこそ愛おしい。
ヘストンは決して自分のキャリアを安全牌でまとめようとはしなかった。自分のプロダクションで、実の息子の脚本を使い、極寒のカナダの奥地で泥まみれになり、飛行機が墜落しても撮影を続け、一人二役で狂人を演じきる。この「映画づくりに対する狂熱」と「役者としての貪欲さ」は、評価されるべき情熱である。
『大金塊』は、確かに不完全で、奇妙で、映画史の片隅に埋もれてしまった「怪作」かもしれない。しかし、そこには CG も安全基準も整っていなかった時代の、本物の火薬と、本物の泥と、本物の冷たい水、そして何よりも「映画という夢に憑りつかれた人間の狂気」が、手つかずの鉱脈(マザー・ロード)として確かに眠っているのだ。
終章:秘境に響き渡るバグパイプの音色──不滅のカルトクラシックへ
今、我々が『大金塊』を振り返るとき、そこに見えるのは単なる「失敗した80年代映画」ではない。それは、ハリウッドの黄金期を築いた巨人が、自らの手で築き上げた最後の狂気の城塞である。
カナダの深い山々、静まり返るラブリー・ウォーター湖の湖面、腐りかけた不気味な坑道、そしてどこからともなく聞こえてくるバグパイプの悲痛で狂気的な音色……。
もしあなたが、完璧に計算された現代のハリウッド映画に退屈しているなら、ぜひこの『大金塊』という秘境へ足を踏み入れてほしい。そこには、正気を失ったチャールトン・ヘストンが、ダイナマイトに火をつけてあなたを待っているはずだ。
「俺の鉱山から出ていきやがれ!」
その叫び声は、今も映画史の暗闇の奥深くに、黄金の輝きとともに永遠に響き渡っている。