注意事項
- 模型玩具商品無法使用海運運送,空運會產生材積費用,可使用 日本郵局海運直送。貼心提醒:商品外箱三邊總合低於75cm以下,使用空運會較划算。
※日本郵局海運直送抵台時間通常超過三週以上,無法與賣家反應商品疑慮、功能異常...等 - 偵測到故障品(垃圾品)、有照片及說明以外的問題,下標前注意
- 賣家不提供退貨賠償等責任
- 需在賣家要求時間完成匯款
- 商品可能會漏水,請下標前詢問清楚且注意。
- 噴霧罐/ 顏料液體 類型商品國際運送規定為危險物品,無法運送。
- 同捆不可,商品會有獨立的日本運費
此功能 由google翻譯提供參考,樂淘不保證翻譯內容之正確性,詳細問題說明請使用商品問與答
《戦艦榛名》【モータで走る艦船模型】ニチモ 30cmシリーズNo.20 日本海軍金剛型戦艦 榛名
| 商品説明 |
■ ニチモ 30cmシリーズNo.20 日本海軍金剛型戦艦 榛名について
本来のニチモの30cmシリーズは1974年5月号に新製品発売となってますが、この製品はFA130モータが別売となり、代わりに展示台が付いた頃のキットです。このあとパッケージが小さくなり合同パッケージとなってます。
ただ1枚ランナーが小型パッケージに合うように切り分けられてますので、中身は合同パッケージのものかもしれません。
FA-130モータ1個(別売)と単3電池1本(別売)で走らせて遊べます。
ニチモ30cmシリーズの金剛型(金剛、比叡、榛名、霧島)は全て榛名用ですので、このキットをストレートに組めば榛名ができあがります。しかもウォーターラインの金剛型は当時フジミが担当してましたが、それよりも榛名らしい榛名だと言われてました。今ではフジミの方が遙かに上だと思いますが。
尚、榛名は全長222mですから、スケール的には1/740となりますので、多少オーバースケールとはなりますが、1/700のアフターパーツでも何とかディテールアップ可能です。
尚、発送する場合60cm以内に納めるためクラフト紙で梱包する予定です。
・フルハルモデル
・走行させる場合はFA130モータ1個と単三電池1本をご用意下さい)
定価 500円(当時・税抜)
ECサイトでは売ってないようです。
※ 出品理由や趣旨については自己紹介をご参照ください。(必読ではありません)
■ ご注意
・無塗装、未組み立て品です。塗料噴霧罐/ 顏料液體 類型商品國際運送規定為危險物品,無法運送。、制作工具、接着剤等は別途ご用意ください。
・パーツリストが無い為パーツの確認は出来てませんが、パーツを入れてる袋は未開封で穴も開いてませんので、メーカー側でのミスがない限り全て揃ってると思われます。足りない場合はメーカーにお問い合わせください。
・パッケージは経年劣化により日焼けやかなりのスレ等の劣化がありますし、一部折れや汚れ、破損が存在しますのでご了承下さい。
・本出品には上記の可能性もありますので、美品や完品がほしい方は、入札をご遠慮下さい。
※ 当出品物は売る事を前提として保管してた物では無い為、新品同様の状態のものもありますし、日焼けや変色、スレ等全体的に劣化している状態のものもあり、全てが同一のコンディションではありません。このため商品の状態を判断して出品してますが、当方で新品同様と判断しても、見落としや落札者様の判断基準と異なる可能性もありますので、どのような状態であっても基本的に「傷や汚れあり」に設定し、開始価格も低めの設定にしてます。
特に模型については組んで頂くことを前提としてますので、パーツリストのあるものはパーツを確認し、可能な限り本体部分のパーツが揃っているものを出品してます。(欠品している場合は欠品部分の情報と、リカバリ方法のヒントを記載いたします) このためパッケージの状態を特に重視される方は入札をご遠慮ください。
書籍についても、内容では無く書籍の状態の方を重視される方は入札をご遠慮ください。
■ 同時に下記商品を出品しています。
[艦艇]
・モータで走る艦船模型
ニチモ 30cmシリーズNo.20 日本海軍金剛型戦艦 榛名
・今は亡きミツワ製:モーター付
ミツワモデル 1/1000 世界名戦艦シリーズ 米海軍アイオワ級戦艦 ミズーリ
・当時でも神ディテールの小粒キット
バンダイ 1/2000 ネイビーコレクション No.3 日本海軍翔鶴型航空母艦 翔鶴
・今は亡き東京シャープ模型製
東京シャープ 世界の艦艇シリーズNo.3 米海軍重巡洋艦インディアナポリス
[スターウォーズ]
・スターウォーズの反乱同盟軍で活躍した宇宙戦闘機
ファインモールド SW-1 1/72 インコム T-65 X-ウィング・ファイター
・スターウォーズの銀河帝国宇宙軍の主力宇宙戦闘機
ファインモールド SW-2 1/72 サイナー・フリート・システムズ タイ・ファイター
[フランケンシュタインの花嫁]
・あのオーロラの名作を復刻
ポーラライツ フランケンシュタインの花嫁
出品一覧(ここをクリック)
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入札等に関して |
このページの記載を熟読ご確認して頂き、十分理解し、了承した方のみご入札願います。
1.支払い等について
1) 支払い方法は、かんたん決済のみです。
2) これまで落札された方の9割以上の方が落札した翌日の13:00迄に振り込んで頂いてますので、振込みは基本的に落札後24時間以内にお願い致します。コンビニなどの利用等で振込が落札後24時間を越える場合は、落札後24時間以内にいつ頃の振込になるかご連絡ください。落札後24時間以内に振込も無く連絡も頂けない場合は問合わせさせて頂きます。この問合わせから24時間以内に返答等のアクションがない場合は入札を取消させて頂き、次点の方に落札頂くか、または再出品させて頂きます。
また事情をお伝え頂いた場合でも、入金は落札後5日以内にお願い致します。
3) 新規の方及び出品者様より振込の遅延または落札品の受取処理を行わない等、落札後の問題で悪いの評価がついている落札者様及び前回当方の出品で振込遅延または受取処理遅延メッセージを受けた落札者様は、落札した翌日の13:00迄に振込もしくは振込予定のご連絡をお願いします。翌日13:00迄に振込も振込予定連絡もいただけない場合は、当方よりお問い合わせさせていただきます。以上のお問い合わせをさせて頂いても、落札後24時間以内に何らかのアクションがない場合は入札を落札者様都合で取消させて頂き、次点の落札者様(前述と同様の問題がない方)に落札権を譲渡するか再出品とさせて頂きます。(すいません、何度もいたずららしい入札がありましたのでこの対応とさせて頂きます)
2.同梱(おまとめ発送)について
1) 同時期(「■ 同時に下記商品を出品しています。」の項目に記載している出品物)の出品物は同梱可能です。(再出品とは基本的に同梱できません)
3. 発送について
1) 匿名配送及び商品追跡のため、発送はおてがる宅急便(EASY)またはゆうパケットポスト、ゆうパケットプラス、ゆうパケットポストミニを使用します。送料を安く出来ないかとのお問い合わせもありますが、下記の通り定形外の場合匿名配送、商品追跡が出来なくなる為、変更できませんのでご了承下さい。
2) 日本国内のみで海外発送には対応してません。
3) 梱包は雨などの水漏れ商品可能會漏水,請下標前詢問清楚且注意。防止用にビニール袋に包み、梱包箱等に入れます。ただし梱包箱では発送サイズに収まらない、または100サイズを超える大型サイズの場合は、段ボール用紙、またはクラフト紙で梱包して発送します。
4) 落札者様からのご入金確認後、土日祝祭日を除き通常は24時間以内、遅くとも48時間以内需在賣家要求時間完成匯款の発送を心がけてますが、事情により遅れる場合がございます。その場合は落札者様へご連絡いたします。
5) お手軽宅急便(EASY)での発送の場合で着日を指定(発送後標準的な輸送期間を過ぎた日を指定する場合)は振込前にご連絡ください。尚、ゆうパケットプラス、ゆうパケットポスト、ゆうパケットミニの場合は期日指定が出来ません。お手数ですが受取れなかった場合は郵便局のウェブより地元の郵便局に連絡して頂き、郵便局または近くのコンビニでの受取りを指定してください。
6) 定形外郵便発送のご質問が何度がございましたが、匿名配送及び商品追跡のため現状故障品(垃圾品)、問題商品、可能無法修理,請注意定形外郵便を使用する予定はございません。
4.受取処理について
1) 商品到着後2日(到着後48時間)以内に受取り処理を行ってください。匿名配送の為、商品が落札者様へ届いたかどうかは判りますので、到着してから2日(到着後48時間)を越えて受取処理も無く、受取処理が遅延するご連絡もいただけない場合は、こちらから催促の連絡をさせていただきます。尚、それ以前に催促の連絡があるかもしれませんが、それはシステム側が出力した自動送信です、
2) 今まで配送の追跡後、商品を郵便局や営業所止め等にしてあると判断した場合は、その週末に受け取るものと判断し、翌月曜日までは催促致しませんが、出来れば受取予定期日のご連絡をお願い致します。何のアクションもない場合は、翌月曜日に催促の連絡をさせて頂きます。
3) 催促をかけてから24時間以内に何らかのアクションを頂けない場合は、落札者様の評価または前回までの対応に基づき以下のように対処致します。
(1) 受取処理をしないとの評価がある場合、催促から24時間経過しても何らかのアクションがない場合はブラックリストに登録致します。
(2) 受取処理をしないとの評価が無い場合、催促から48時間経過しても何らかのアクションがない場合はブラックリストに登録致します。
(3) 当方のこの出品または以前の出品で支払い、受取処理で2回以上の警告を受けた場合ブラックリストに登録致します。
(注)これまでの取引で極一部の方の対応に問題があり、これまでより入札条件が細かくなったり厳しくなり申し訳ございません。上記条件にご納得頂けない(上記期間内にお支払い、や受取処理が出来ない、もしくはお支払いや受取処理の遅れる理由を連絡するつもりのない等)場合は入札をご遠慮ください。
5.評価について
1) 評価は、当方に評価いただいた方のみ対応させて頂きます。
2) 評価不要の方は当方への評価も必要ございません。
6.再出品について(2025/11/30:修正)
これまで落札されなかった商品やいたずら入札で落札がキャンセルされた商品の再出品を行ってませんでしたが、準備出来次第以下の要領で行う予定です。
・即決有り、送料込みでの出品形式の出品となります、掲載期間は未定です。
・基本的に即決価格はアマゾンや相場を参考に商品の状態を考慮し設定し、開始価格も即決価格の9割程度とします。
・通常出品との同梱は基本的に出来ません。
7.その他
1) ご質問がある場合は、オークション終了の24時間前迄に行ってください。
2) 送料も含め値引き交渉は致しません。
3) 現品しかございませんので、基本的にノークレーム・ノーリターン賣家不提供退貨賠償等責任でお願い致します。
4) 新規の方や評価が非常に悪い方、また取引に不安を感じる方は、申し訳ございませんが入札を取消させていただく場合がございます。
上記ご確認の上ご検討ください。
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送付方法 |
おてがる宅急便(EASY)
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支払方法 |
Yahoo!かんたん決済(詳細)
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実艦について |
◇クラス解説
六六艦隊計画のもと戦艦、装甲巡洋艦を整備した日本帝国海軍は、日本海海戦でロシア海軍を壊滅させ、結果として世界第3位の海軍国に成長、またロシア太平洋艦隊を消滅させた事により、新たに米海軍を仮想敵として設定しました。
当時の日本では主力艦の自国建造を行うようになり、薩摩型戦艦(薩摩:1910年竣工と安芸:1911年竣工)、、河内型戦艦(河内:1912年竣工と摂津:1912年竣工)、筑波型装甲巡洋艦(筑波(子号装甲巡洋艦):1907年竣工と生駒(丑号装甲巡洋艦):1908年竣工)、鞍馬型装甲巡洋艦(鞍馬(寅号装甲巡洋艦):1911年竣工と伊吹(第一号装甲巡洋艦):1909年竣工)と毎年主力艦を整備してました。
余談ですが、軍艦を建造する場合予算が成立してから進水までに10年以上かかる事もあり、その間無名であると事務手続き上不便です。そこで仮の艦名を用いてどの予算によるものかを判別する制度を1885年に内規として定め、1937年からは仮称艦名と呼ばれるようになりました。また仮称艦名は順序記号と艦種を組合わせて付けられ、会計上の必要から仮称艦名を見ればどの予算かが分かわかるように作られました。更に艦船の建造は海軍拡張用や旧艦の代艦など異なる予算項目によって進められるため、予算項目が変わると順序記号も変更される仕組みで、仮称艦名に「号」が付くだけでも予算項目が変わります。つまり第?艦と第?号艦では予算項目が異なります。この順序記号には数字、号が使われますが、更に予算項目が異なると甲・乙・丙・丁や、十干や十二支も用いられました。特に日露戦争時に触雷で沈没した戦艦初瀬と八島の代艦建造は臨時軍事費で急造された為仮称艦名に十二支が使用されました。
話を戻しますが、そのころ英国のフィッシャー提督はイタリアの造船技師ヴィットリオ・クニベルティが提唱した全巨砲戦艦の構想を元に、パーソンズの開発した蒸気タービンによる機関の小型化と日本海海戦と黄海海戦に於ける12インチ砲の有効性を研究した結果、1908年戦艦ドレッドノートを誕生させました。
このドレッドノートの出現により、既存の戦艦、装甲艦は船台上にあるものも含め時代遅れとなり(いわゆるドレッドノートショック)、それは国産の主力艦も同様でした。
更に英国は1908年に弩級巡洋戦艦インヴィンシブル級3隻を竣工、1909年には超弩級戦艦オライオン級が起工され、同時に世界最大艦となる超弩級巡洋戦艦ライオン級が計画されました。これに対し列強海軍も弩級艦、超弩級艦の建艦を初め各国の建造競争に拍車がかかりましたが、当時の日本では弩級艦や超弩級艦を国内で建造するには技術不足でした。
このため国産主力艦の戦力不足を懸念した日本海軍は1906年から1907年にかけ戦艦8隻、装甲巡洋艦8隻からなる八八艦隊を要望しました。この八八艦隊とは艦齢8年未満の戦艦8隻と装甲巡洋艦8隻を中心にし、必要な補助艦艇と艦齢8年を超えた艦を整備する計画であり、日本帝国海軍の戦力強化に寄与することを目的としてましたが、実現するためには膨大な予算を必要とするため段階的に進めることとしました。
日本海軍は最初の4隻を、英海軍巡洋戦艦インディファティガブルに近い排水量約18,000t、速力25kt、主砲12in8門の装甲巡洋艦として計画しましたが、予算が通過したのは1910年でした。
しかし当時は戦利艦の補修や国内主力艦の建造遅延、鞍馬型装甲巡洋艦のタービン化もあり、国内では着手可能な状況ではなく、また列強各国はその間にも強力な弩級艦・超弩級艦を竣工させており、新型装甲巡洋艦の設計もまとまらない状況でした。
そこで英海軍の巡洋戦艦ライオンに注目した日本海軍は、18,000トン級巡洋戦艦の計画を放棄し、その1番艦(伊号装甲巡洋艦)を英国のヴィッカース建造を依頼しました。日本海軍では英国で建造することで最新の技術を導入及び習得し、更にこの設計図を元に残りの同型艦を国内で建造することとしました。
こうして英国のヴィッカース社で建造されたのが、装甲巡洋艦金剛ですが、建造中に艦艇類別等級の改訂があり艦種を装甲巡洋艦から巡洋戦艦としたので、竣工時は巡洋戦艦金剛となってます。
最近の説では金剛はイギリスがオスマン帝国海軍が発注したレシャディエ(後に第一次世界大戦勃発により英海軍が買取エリンと改名)をタイプシップとし、レシャディエの主砲を13.5inch連装砲5基より14inch連装4基とし、3番もしくは4番砲配置と後楼の位置を修正することでレシャディエと同等の射界を確保し、全長を延長、軽装甲化することで高速化した巡洋戦艦として建造したと推測されているようです。
余談ですが、当初の設計案B46では50口径12inch連装砲5基搭載の予定でヴィッカース社とアームストロング社に入札公告されてます。この中で12inchか14inchのどちらを採用するか検討されたのですが、日本海軍での詰問会議においては14inch砲の採用を推進したのは1名だけだったようです。しかし最終的にはヴィッカース社が提案した45口径14inch連装砲塔4基を搭載した472C案を採用してます。金剛型のWikiでは50口径12inch連装砲も45口径14inch連装砲も砲塔重量が殆ど変わらず、また50口径12インチ砲は砲身が長くブレやすく散布界が広く命中率が低いうえ砲身の命数も短い為14inch砲を採用したとなってますが、金剛のWikiでは14inch砲を採用した過程は不明となっており、ヴィッカース案を採用したのもヴィッカース社の事情と思惑及び三笠や香取の建造実績で日本側との繋がりが強かったのが要因と読み取れる記述にもなってます。
竣工した金剛は当時世界最大の主砲を搭載した世界最強の巡洋戦艦でした。また船体の中心線上に主砲を配置したため、タイプシップのレシャド5世より砲塔が1基少ないにもかかわらず、レシャド5世と同等の射界を持てました。装甲は当時英国で建造していたライオン級より多少薄かったようですが、速力については優速でした。これはフィッシャー提督同様日本海軍も「速度こそ最大の防御」と言う考え方であったからのようです。
金剛は最後の海外建造の主力艦となり、その設計図を元に2番艦以降は国内で建造されることになりました。
2番艦の比叡(卯号装甲巡洋艦)は横須賀海軍工廠でしたが、3番艦榛名(第二号装甲巡洋艦)は神戸川崎造船所、4番艦霧島(第三号装甲巡洋艦)は三菱長崎造船所と日本では初めて民間の建造所で建造されることになりました。
金剛型4隻が全て竣工するとこの4隻で第三戦隊を組み、世界最強の巡洋戦艦艦隊と呼ばれました。
第一次世界大戦が勃発すると、日英同盟を結んでいた英国より金剛型巡洋戦艦の1時借用を依頼されましたが、それは断り、その代わりドイツ東洋艦隊の動きを封じるための活動を行いました。
1916年5月にユトランド沖海戦が起こり、英独海軍の戦艦・巡洋戦艦の大砲撃戦が起こりました。その中でも前衛部隊にいた巡洋戦艦の被害が大きく、両軍で計4隻が沈没しました。特に金剛型よりも装甲が厚いと言われた英海軍巡洋戦艦ライオン級3番艦のクィーン・メリーがドイツの巡洋戦艦デアフリンガーのわずか2発の直撃弾で轟沈したことは日本海軍に衝撃を与えました。
クィーン・メリーが轟沈した本来の原因は水平防御力の不足でしたが、これは戦艦にも共通する弱点でした。そしてこの海戦の教訓としては、戦艦には水平防御力の強化と高速化を、巡洋戦艦には水平防御力を含む全般的な防御力の増加が求められ、これらの教訓を取り入れた戦艦・巡洋戦艦をポスト・ユトランド型と呼ぶようになりました。結果、戦艦と巡洋戦艦は統合され、後に高速戦艦の誕生に繋がりました。
日本ではポスト・ユトランド型を金剛型の代艦である八・八艦隊の天城型巡洋戦艦で取り入れる予定でしたが、ワシントン海軍軍縮条約で天城型巡洋戦艦の建造が取りやめとなり、金剛型のポスト・ユトランド型への改装を行う事になりました。その後金剛は艦齢20年に達しワシントン海軍軍縮条約での代艦建造時期となった為金剛代艦(高速戦艦)が計画されましたが、今度はロンドン海軍軍縮条約により建造中止となってます、
ロンドン海軍軍縮条約では金剛型の処遇が問題となり、結果比叡が練習戦艦とし、金剛、榛名、霧島は排水量29,330t(約3,000t増加)内でポスト・ユトランド型への改修が行われました。
金剛型のポスト・ユトランド型への改修では垂直防御は十分とされてましたが、水平防御力は不足だったのでNVN甲鈑が貼り増しされました。この増強で、扶桑型と比べると防御力は著しく向上しました。しかし機関の更新はロンドン海軍軍縮条約の条約内では無理だったため速力は26ノットに低下しました。これにより艦種は巡洋戦艦から戦艦に変更されることになりました。
尚、主砲の射撃について扶桑型、伊勢型は散布界過大、射撃速度の低下、爆風による弾着観測や射撃指揮への影響など問題の多いのですが、金剛型はこのような問題が無く非常に優秀だったようです。
1929年いドイツがドイチュランド型装甲艦を建造したことで、ヨーロッパでは建艦競争が再熱し、1937年1月に軍縮条約の失効がせまると列強各国は条約を超える新戦艦の建造や既存艦の改造に着手しました。新造主力艦は排水量35,000トン、14~15インチ主砲を搭載する最高速30ノット以上の高速戦艦が主流となりました。
金剛型4艦も条約脱退により第2次近代化改装を実施、主機関の換装と艦尾延長による高速化及び主副砲仰角増大で攻撃力増加等を行い高速戦艦に改装されました。
戦前、戦中の大日本帝国海軍の戦略思想は漸減邀撃作戦で、潜水艦や航空機等により敵戦力を可能な限り漸減し、戦艦部隊同士による砲撃戦により雌雄を決するという艦隊決戦思想でした。
このため巡洋戦艦時代の金剛型は、遊撃部隊に該当する第二艦隊として運用されましたが、高速戦艦となった金剛型は主力部隊に相当する第一艦隊に所属し、長門型戦艦、扶桑型戦艦、伊勢型戦艦と共に第一戦隊を構成していましたが、第一艦隊に配備する主力艦を純粋な戦艦で統一し、巡洋戦艦的な性格が強い金剛型を前衛を担う第二艦隊に編入する計画に改められました。
1936年以降は、金剛型戦艦は第三戦隊に編成され、また大改装により水雷戦隊と行動できるよう機関を刷新し高速戦艦となる事で、潜水艦や航空機による残減作戦後の夜戦において、高速の巡洋艦部隊や水雷戦隊等に随伴して前線部隊の先頭に立ち、大口径砲で敵警戒網を突破支援し、その後主力部隊と合流して艦隊決戦に参加する事となってました。
ところがいざ太平洋戦争が始まると、本来は戦艦が出撃する前の露払い役であった航空機の活躍により、艦隊決戦が行われる機会は訪れず、決戦の主役とされた戦艦群は艦隊決戦兵力とされたまま遊兵状態となってしまいました。 しかし、金剛型は空母と同一行動を取るのに十分な速力を持ち、また日本海軍の戦艦で最も旧式で攻防ともに最弱であったため、損耗しても戦力に及ぼす影響が低く使い潰しても構わない戦艦として扱われました。
真珠湾攻撃では比叡と霧島が南雲機動部隊に、金剛と榛名が第二艦隊隷下として南方作戦に参加し、セイロン沖海戦では、金剛型4隻が南雲機動部隊に同行しました。MI作戦では、榛名と霧島が南雲機動部隊として海戦の矢面に立ち、比叡と金剛が近藤部隊に所属してます。
ガダルカナル島の戦いで苦戦が続くようになると、陸軍より敵航空基地を砲撃粉砕することが求められ、当初海軍は巡洋艦・駆逐艦での作戦としましたが、敵艦隊との遭遇戦や巡洋艦程度の砲撃では十分なダメージが与えられないとして大口径による戦艦での撃砕を行う事になりました。
大和型戦艦での出撃も考慮されましたが、狭く水深が不明な海域の作戦で、燃費の悪く優速でも無い聯合艦隊の象徴でもある大和型より、高速で、艦隊決戦における戦力としては期待されておらず、失っても惜しくない老朽艦の金剛型の方が適任となりました。
ヘンダーソン基地艦砲射撃は艦砲射撃は陸軍の攻撃も有り成功に思えましたが、破壊を免れた滑走路や破壊されても1日で復旧されるなどで効果は無く、比叡と霧島が再出撃したものの米軍の艦艇により沈みました。金剛はレイテ沖海戦後の日本帰還時に潜水艦により損失し、終戦時には榛名が大破着底の状態でした。
◇個艦解説
榛名は金剛型戦艦(巡洋戦艦)の3番艦です。
榛名は「第二号装甲巡洋艦」として計画され、1911年4月に民間の造船所である神戸川崎造船所に発注されました、これは初の民間造船所で建造された主力艦となりました。また同時期に三菱合資会社長崎造船所にも「第三号装甲巡洋艦」(後の金剛型巡洋戦艦霧島)が発注され、この両社はお互いに激しい競争意識を持って建造することになりました。榛名は1912年3月に起工し、1913年12月に進水しましたが、機関試運転の直前に故障が発見され、試運転が遅延、この責任を感じた川崎造船所の篠田工作部長が自刃するという悲劇もありました。その後、榛名は霧島と同時に竣工し、海軍横須賀鎮守府に引き渡されました。これにより、民間造船所でも主力艦の建造が進むこととになりました。
榛名の主機には技術提携していたジョン・ブラウンのブラウン・カーチス式直結タービンを川崎造船所で製造し搭載してます。このタービンは圧力の異なる複数のシリンダーから出力を分けて2本の推進軸を動かすエンジンです。兵装面では、主砲に国産の四一式36センチ(正確には35.6cm:14インチ)砲を採用し、副砲は新造時に片舷8門ずつの計16門を装備していましたが、用兵上必要性が無くなり撤去が進みました。また新造時には53.3cmの魚雷発射管も8門搭載してましたが、これも用兵上の必要性が無くなり1度も使用されてませんが、撤去されたかについては不明です。
榛名は1915年4月19日に竣工し横須賀鎮守府籍となり、12月には第二艦隊第三戦隊に同型艦3隻とともに編入されました。
1916年には、英海軍が導入していた方位盤射撃照準装置(同一目標への砲撃時、全主砲を一括指向射撃する一種の遠隔制御装置)の試作機を日本海軍で初めて搭載しました。 当時は第一次世界大戦中の為、榛名も連合国側の艦艇として中国方面・北支方面・ロシア方面などへの警備活動を行ってました。
一方、ユトランド沖海戦の戦訓として巡洋戦艦の水平防御力の脆弱性が指摘され、その対応を当時砲塔爆発事故修理の為入渠していた榛名から行う事になり、水平防御強化と主砲射程延長などが行われました。 この改装中の1921年、ワシントン海軍軍縮条約が締結され、金剛型の代替艦としていた天城型が建造中止となった為金剛型は近代化して第一線の戦力維持を図ることとなりました。
改装を一時終えて練習役務艦として現役を離れていた榛名は、1924年より引き続き近代化大改装を施され、従来の石炭・重油混焼缶から重油専焼缶へ換装され、艦橋はパゴダマスト化するなど上部構造物と船体の大幅近代化も行われました。
この改装によって重量が増したため速力が25ノットに低下、このため後の1931年6月1日付で姉妹艦3隻とともに巡洋戦艦から戦艦に艦種変更されました。
満州事変により日中の緊張が高まり、1937年以降の日中戦争へと発展する中で、戦艦榛名は中国方面での警備活動を行いました。1933年、海軍軍縮条約の失効を見越して二度目の大規模近代化改装を実施、動力部が刷新され出力は新造時の倍となり、また船体の延長や上部構造物の近代化改もが行われた事により速力も30ノットを超える高速戦艦として生まれ変わりました。榛名は金剛型で最初に近代化改装が行われ、主砲の砲戦距離延長により後部艦橋が高くなりましたが、後部煙突と隣接しており廃熱問題が起きてしまいました、この為霧島では後部艦橋を後方に傾斜させる事で廃熱対策しており、この点が同型艦との区分けとなってます。また主砲側面が金剛、比叡が角張ってるのに対し榛名と霧島は丸みを帯びてます。
第二次改装後の1934年に、榛名は佐世保鎮守府に移籍し、1937年8月には長江河口沿岸での作戦に参加、1941年には、対米戦争準備として外舷電路やバルジ内水密鋼管充填を行ってます。
太平洋戦争開戦時、榛名は第一艦隊第三戦隊に配属され南方作戦を支援。陸軍の馬来上陸作戦やフィリピン上陸作戦やオランダ領東インド攻略作戦を支援しました。この間戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを中心とする英国東洋艦隊の迎撃に向かいましたが、英艦隊は日本軍の航空隊に壊滅させられました。
1942年2月、金剛型4隻でインド洋作戦に従事し、3月にはクリスマス島への艦砲射撃を行いました。
1942年6月5日のミッドウェイ海戦で、戦艦榛名は姉妹艦の霧島と共に南雲機動部隊の護衛を担当、榛名は早朝に偵察機を発進させました。しかし第一次ミッドウェー島攻撃後、南雲機動部隊はアメリカ軍機による空襲を受け、榛名は至近弾を受けるものの、米軍の急降下爆撃で空母3隻が炎上しました。榛名は残る飛龍を護衛するも、飛龍も空襲で被弾し炎上し、4隻の主力空母は全て沈没しました。榛名はさらに爆撃を受けましたが、深刻な損害は免れました。
1942年7月14日に金剛と共に第三戦隊を再編成し、同年9月、激戦化したガダルカナル方面の戦闘に参加するため前進部隊本隊に編入され、トラック島へと本拠を移しました。 ガダルカナルの攻防では日本軍は物資を増援するものの補給力に勝る米軍により撃退され戦力は低下する一方でした。
苦境に立った陸軍の要請によりヘンダーソン基地艦砲射撃を立案、第三艦隊を含む第一次挺身攻撃隊を編制し攻撃に向かうも10月11日に米艦隊と遭遇しサボ島沖海戦がおき、重巡古鷹、吹雪等が失うものの、米艦隊も損害を出して疲弊、アイアンボトム・サウンドから撤退しました。
このため第二次挺身攻撃隊が編制され、米艦隊の妨害を受けることなくヘンダーソン飛行場を砲撃し一時使用不能としましたが、新設滑走路の存在を日本陸海軍とも見落としていた為、日本軍輸送船団は10月15日に米軍機の攻撃により大損害を被りました。 1942年10月26日、榛名は南太平洋海戦に参加しますが戦闘の機会はありませんでした。
1942年11月中旬、第三次ソロモン海戦で比叡と霧島が沈没し、金剛型戦艦は金剛と榛名の2隻となり、同年12月に第三戦隊は第三艦隊に編入され、1943年2月にはケ号作戦を支援しました。その後は整備等で内地に戻ったりしましたが、6月以降はトラック島に戻り、年末までソロモン諸島に派遣されたり、周辺海域で活動するものの戦闘はありませんでした。
1944年6月、あ号作戦が発動され榛名も第二艦隊の前衛として参加。しかしマリアナ沖海戦では大鳳や翔鶴が米潜の雷撃で撃沈。更に米軍機の攻撃で飛鷹が沈み他の空母も損傷しました。榛名もこの時艦尾に直撃弾を受け火薬庫に浸水するほどの損傷を受け、この損傷が元で修理後も全速を出すと艦尾振動が発生する為、最大速度を26~27ノット程度に抑える事になりました。また修理の際全艦窓閉鎖と対空機器増強をおこなってます。
同年10月の捷一号作戦にも第一遊撃部隊の1艦として参加するも、サマール沖海戦では艦尾振動により金剛ほどの戦果をあげられませんでした。更に捷一号作戦の撤退中に米軍機の迫撃で至近弾を受け損傷してしまいました。
レイテ沖海戦の後、大和や金剛、榛名等はブルネイに残りましたが、大和や金剛等は11月15日に本土へ旅立ち、残る榛名や足柄、羽黒、大淀等は22日にリンガ泊地へ移動しました。尚、日本本土に向かった金剛は雷撃で撃沈され榛名は金剛型最後の1艦となりました。榛名はリンガ泊地に移動中に座礁し、荒天での外洋公開が不安となるほどの損傷を受けました。この為内地に回航し1944年12月12日に呉に帰港しました。
1945年に入ると戦況が更に悪化、日本の艦船は燃料不足に苦しみ、榛名も修理後は呉で停泊してました。3月19日の空襲では軽微な被害にとどまりました、榛名は4月に予備艦籍となり、対空火器や射撃指揮装置等多くの装備が陸上防衛の為撤去されました。6月22日にはB-29の攻撃を受け直撃弾を1発受けました。その後防空砲台となるべく呉の江田島に転錨しました。7月24日と28日に実施された大規模な空襲に対し二番砲塔の砲照準で三式弾による対空射撃で抵抗したものの、20発以上の命中弾を受け榛名は大破浸水し着底しました。この状況でも主砲及び対空機器による攻撃は可能でしたが、そのまま終戦を迎えました。榛名は1945年11月20日に除籍され、1946年5月2日~7月4日に浮揚解体されました。
就役:1915年4月19日
戦没:1945年7月28日(大破着底)
排水量:32,156トン(第2次改装後)
全長:222.05m (第2次改装後)
速力:30.5ノット(第2次改装後)
主武装:45口径35.6cm連装砲4基
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インフォメーション |
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● 大和型軍艦の模型史考2015~2022(2015年以降の大和型軍艦模型をまとめたもの)
※ 現在体調不良の為、更新が伸びていますので、大和型軍艦の模型史の更新はもう少しお待ちください。
● 大和型軍艦の模型史考2015 (2015年迄の大和型軍艦模型をまとめたもの)
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